全体像
人は、自分自身の罪の赦しをイエス・キリストの十字架のみわざに信頼し、永遠のいのちを信仰によって授かることにより、クリスチャンになることができる。
全体像
人は、自分自身の罪の赦しをイエス・キリストの十字架のみわざに信頼し、永遠のいのちを信仰によって授かることにより、クリスチャンになることができる。
どんな神でも信じてもいいの?
聖書は、まことの神はただお一人であられる、と教えます。この唯一まことの神は、全宇宙、地球、そして地球を覆う全ての生物を造られました。「ヤーウェ」と言う神の名前には、「わたしはある」と言う意味があります。
この神は、唯一まことの神であられますので、人がこの神以外の人や生き物を拝むことを忌み嫌われます。
聖書の神が唯一まことの神であるとどうやって知ることができるの?
単純に言うと、神はご自身について、また私たちについて、その真理を聖書を通して現しておられます。
クリスチャンとは、聖書を読み、その聖書に「いのちのことば」を見い出す人です。この世のいかなる思想にも見い出すことのない、神、世界、あるいは人間についての教えのことばです。
どうやって聖書を読めばいいの?
聖書は多数の小書物を集めた蔵書です。ですので最初から1ページずつ読む必要はありません。
『ヨハネによる福音書』は読み始めるのにいい書です。新約聖書の第4番目に当たる書で、単純に『ヨハネ』として知られています。
聖書にある目次を利用して聖書箇所を探したり、聖書朗読に役立つオンラインツールやアプリなどを活用してください。
罪とは?
この地上の全ての国には法律なるものがあります。それは人間が意図的に、あるいは無意識に他人を傷つける傾向があるからです。
諸外国に法律があるのと同じように、神にも定められた掟があられます。そのご性質や価値基準に沿って世界が回るような、私たちが従うべき決め事がおありになるのです。
ところが私たちすべての人間が神の定めに従うどころか、背いて生きています。私たち各々全て、自分の判断で善悪を決め、それに沿って生きています。神の定めに反して行う全ての行為を正当化さえします。聖書はその神に背くこと自体を「罪」と呼び、神の定めに背くその行為を「もろもろの罪」と呼ぶのです。
罪の報いとは?
罪には数多くの報いが伴います。その最大の報いは、私たちが死んだら、神から永遠に離されてしまうことです。
神は聖いお方ですので、生涯神に背いて生きてきた人を、ご自身のおられる天のみ国に招き入れられることはありません。
罪のゆるしとは?
イエス・キリストによって語られたキリスト教のメッセージとは、キリストを信じる人はその罪のゆるしを受けることができる、です。それはイエス様ご自身が、神のみ前でその人の身代わりになられるからです。イエス様は罪のない完全な正しい、聖い生涯を生きられ、罪を犯した人の罪の代償を支払うため死なれました。
神はイエス様を信じ、イエス様のものとなった人のすべての罪を、おゆるしになるのです。そしてさらに、イエス様の死、よみがえり、従順、義、栄光が信じる人のものとなるのです。
罪のゆるしとは、イエス様があなたの負債を肩代わりして下さるようなもの
例えば、あなたが誰かに多額の借金をしたとして想像してみてください。一生をかけて必死で働いても返済することができない程の額です。それが実は私たちの神との関係における、負債総額です。イエス様は、罪一つない生涯を生きられ、十字架にかかって死ぬことで、私たちの負債を肩代わりしてくださったのです。
私たちがイエス様を信じるとき、神はイエス様の従順と死を私たちに適用してくださり、私たちの債務を「ゼロ」と宣言されるのです。聖書ではこれを「義とされる」と表現します。神のみ前で、私たちの一切の罪が洗われる、という意味です。それは神が私たちのうちに、イエス様の完全な聖さと義のみを見られる、という言うことです。
永遠のいのちとは?
イエス様を信じる人は、新しい心、新しい霊、新しい思い、と言うかたちの永遠のいのちを受けます。聖書はこれを「再生」と呼び、私たちがイエス様を信じ受け入れる時に、聖霊がその再生を成就されます。
イエス様はこの地上で生きたすべての人を裁かれるために、いつかこの地上に戻って来られます。神はその際、イエス様を実際に死からよみがえらされたように、すべての人をよみがえらせられ、二度と腐敗することのないからだをお与えになります。イエス様を信じ受け入れた人は、神と共に、新しい天と新しい地で永遠に生きます。
イエス様のご再臨の前に死んだクリスチャンの魂も、裁きの日まで、イエス様と共にまったき平安と幸せのうちに天のみ国で生きるのです。
どのようにして神を信じればいいの?
神を信じるにはまず、決断と祈りから始まります。自分の人生を神にささげたいと言う心の準備ができたら、主に祈ってください。どんな言葉や言い回しでも構いません。一番楽な自然体でいられる言葉で祈ってください。
以下は、自分の人生、たどり着く永遠を、神にゆだねたい、と言う祈りの例です。
認めるー自分が罪人であること、神の定めに背いて生きてきたその罪を認めて下さい。犯してきた罪のため、自分は永遠のいのちを受けるに値しないものであると認めてください。
告白するーイエス様を自分の救い主であられると告白してください。神に、イエス様によってあなたの罪をゆるし、新しいいのちをお与えくださいとお願いしてください。イエス様に、主を愛し、生涯従いますと言ってください。
感謝するーあなたを救うために成されたすべてのみわざとそのご愛を、神に感謝してください。主の恵みと憐れみを褒めたたえてください。
ささげるー自分の人生をささげ、神のあなたに対するみこころがどのようなものであろうとも信頼することができるよう、神にお願いしてください。
最後に「イエス様のみ名によって祈ります、アーメン」と祈りを閉じてください。
聖書参照
どんな神でも信じていいの?
創世記1:1、出エジプト記3:14、20:3、申命記4:35、ヨブ記38ー42、イザヤ書44:6.聖書の神が唯一まことの神であるとどうやって知ることができるの?
詩篇119:105、ヨハネによる福音書6:68、第二テモテへの手紙3:16、第一テサロニケ人への手紙2:13、ヘブル人への手紙4:12、第二ペテロによる手紙1:21.
罪とは?
創世記3章、6:5、イザヤ書64:6、ローマ人への手紙1:18ー23、3:10ー20、ヤコブによる手紙4:17.
罪の報いとは?
創世記2:16ー17、詩篇1:4ー6、ローマ人への手紙5:12、黙示録21:8.
罪のゆるしとは?
マタイによる福音書9:6、26:28、マルコによる福音書1:15、10:45、ルカによる福音書3:3、24:47、ヨハネによる福音書1:29.
罪のゆるしとは、イエス様があなたの負債を肩代わりしてくださるようなもの
イザヤ書1:18、イザヤ書53章、マタイによる福音書18:21ー35、ローマ人への手紙5:15ー21、8:1、ピリピ人への手紙3:9.
永遠のいのちとは?
ヨハネによる福音書11:25ー26、17:3、エペソ人への手紙2:1ー10、第一コリント人への手紙15:42ー58、第一テサロニケ人への手紙4:13ー18、第一ヨハネによる手紙5:12、黙示録20:11ー22:5.
どのようにして神を信じればいいの?
マルコによる福音書16:15ー16、ヨハネによる福音書5:24、使徒行伝2:38ー39、4:2、ローマ人への手紙1:16ー17、10:9ー13、第二テサロニケ人への手紙1:2ー10、第一ヨハネによる手紙4:15.
どんな神でも信じてもいいの?
聖書は、まことの神はただお一人であられる、と教えます。この唯一まことの神は、全宇宙、地球、そして地球を覆う全ての生物を造られました。「ヤーウェ」と言う神の名前には、「わたしはある」と言う意味があります。
この神は、唯一まことの神であられますので、人がこの神以外の人や生き物を拝むことを忌み嫌われます。
聖書の神が唯一まことの神であるとどうやって知ることができるの?
単純に言うと、神はご自身について、また私たちについて、その真理を聖書を通して現しておられます。
クリスチャンとは、聖書を読み、その聖書に「いのちのことば」を見い出す人です。この世のいかなる思想にも見い出すことのない、神、世界、あるいは人間についての教えのことばです。
どうやって聖書を読めばいいの?
聖書は多数の小書物を集めた蔵書です。ですので最初から1ページずつ読む必要はありません。
『ヨハネによる福音書』は読み始めるのにいい書です。新約聖書の第4番目に当たる書で、単純に『ヨハネ』として知られています。
聖書にある目次を利用して聖書箇所を探したり、聖書朗読に役立つオンラインツールやアプリなどを活用してください。
罪とは?
この地上の全ての国には法律なるものがあります。それは人間が意図的に、あるいは無意識に他人を傷つける傾向があるからです。
諸外国に法律があるのと同じように、神にも定められた掟があられます。そのご性質や価値基準に沿って世界が回るような、私たちが従うべき決め事がおありになるのです。
ところが私たちすべての人間が神の定めに従うどころか、背いて生きています。私たち各々全て、自分の判断で善悪を決め、それに沿って生きています。神の定めに反して行う全ての行為を正当化さえします。聖書はその神に背くこと自体を「罪」と呼び、神の定めに背くその行為を「もろもろの罪」と呼ぶのです。
罪の報いとは?
罪には数多くの報いが伴います。その最大の報いは、私たちが死んだら、神から永遠に離されてしまうことです。
神は聖いお方ですので、生涯神に背いて生きてきた人を、ご自身のおられる天のみ国に招き入れられることはありません。
罪のゆるしとは?
イエス・キリストによって語られたキリスト教のメッセージとは、キリストを信じる人はその罪のゆるしを受けることができる、です。それはイエス様ご自身が、神のみ前でその人の身代わりになられるからです。イエス様は罪のない完全な正しい、聖い生涯を生きられ、罪を犯した人の罪の代償を支払うため死なれました。
神はイエス様を信じ、イエス様のものとなった人のすべての罪を、おゆるしになるのです。そしてさらに、イエス様の死、よみがえり、従順、義、栄光が信じる人のものとなるのです。
罪のゆるしとは、イエス様があなたの負債を肩代わりして下さるようなもの
例えば、あなたが誰かに多額の借金をしたとして想像してみてください。一生をかけて必死で働いても返済することができない程の額です。それが実は私たちの神との関係における、負債総額です。イエス様は、罪一つない生涯を生きられ、十字架にかかって死ぬことで、私たちの負債を肩代わりしてくださったのです。
私たちがイエス様を信じるとき、神はイエス様の従順と死を私たちに適用してくださり、私たちの債務を「ゼロ」と宣言されるのです。聖書ではこれを「義とされる」と表現します。神のみ前で、私たちの一切の罪が洗われる、という意味です。それは神が私たちのうちに、イエス様の完全な聖さと義のみを見られる、という言うことです。
永遠のいのちとは?
イエス様を信じる人は、新しい心、新しい霊、新しい思い、と言うかたちの永遠のいのちを受けます。聖書はこれを「再生」と呼び、私たちがイエス様を信じ受け入れる時に、聖霊がその再生を成就されます。
イエス様はこの地上で生きたすべての人を裁かれるために、いつかこの地上に戻って来られます。神はその際、イエス様を実際に死からよみがえらされたように、すべての人をよみがえらせられ、二度と腐敗することのないからだをお与えになります。イエス様を信じ受け入れた人は、神と共に、新しい天と新しい地で永遠に生きます。
イエス様のご再臨の前に死んだクリスチャンの魂も、裁きの日まで、イエス様と共にまったき平安と幸せのうちに天のみ国で生きるのです。
どのようにして神を信じればいいの?
神を信じるにはまず、決断と祈りから始まります。自分の人生を神にささげたいと言う心の準備ができたら、主に祈ってください。どんな言葉や言い回しでも構いません。一番楽な自然体でいられる言葉で祈ってください。
以下は、自分の人生、たどり着く永遠を、神にゆだねたい、と言う祈りの例です。
認めるー自分が罪人であること、神の定めに背いて生きてきたその罪を認めて下さい。犯してきた罪のため、自分は永遠のいのちを受けるに値しないものであると認めてください。
告白するーイエス様を自分の救い主であられると告白してください。神に、イエス様によってあなたの罪をゆるし、新しいいのちをお与えくださいとお願いしてください。イエス様に、主を愛し、生涯従いますと言ってください。
感謝するーあなたを救うために成されたすべてのみわざとそのご愛を、神に感謝してください。主の恵みと憐れみを褒めたたえてください。
ささげるー自分の人生をささげ、神のあなたに対するみこころがどのようなものであろうとも信頼することができるよう、神にお願いしてください。
最後に「イエス様のみ名によって祈ります、アーメン」と祈りを閉じてください。
聖書参照
どんな神でも信じていいの?
創世記1:1、出エジプト記3:14、20:3、申命記4:35、ヨブ記38ー42、イザヤ書44:6.聖書の神が唯一まことの神であるとどうやって知ることができるの?
詩篇119:105、ヨハネによる福音書6:68、第二テモテへの手紙3:16、第一テサロニケ人への手紙2:13、ヘブル人への手紙4:12、第二ペテロによる手紙1:21.
罪とは?
創世記3章、6:5、イザヤ書64:6、ローマ人への手紙1:18ー23、3:10ー20、ヤコブによる手紙4:17.
罪の報いとは?
創世記2:16ー17、詩篇1:4ー6、ローマ人への手紙5:12、黙示録21:8.
罪のゆるしとは?
マタイによる福音書9:6、26:28、マルコによる福音書1:15、10:45、ルカによる福音書3:3、24:47、ヨハネによる福音書1:29.
罪のゆるしとは、イエス様があなたの負債を肩代わりしてくださるようなもの
イザヤ書1:18、イザヤ書53章、マタイによる福音書18:21ー35、ローマ人への手紙5:15ー21、8:1、ピリピ人への手紙3:9.
永遠のいのちとは?
ヨハネによる福音書11:25ー26、17:3、エペソ人への手紙2:1ー10、第一コリント人への手紙15:42ー58、第一テサロニケ人への手紙4:13ー18、第一ヨハネによる手紙5:12、黙示録20:11ー22:5.
どのようにして神を信じればいいの?
マルコによる福音書16:15ー16、ヨハネによる福音書5:24、使徒行伝2:38ー39、4:2、ローマ人への手紙1:16ー17、10:9ー13、第二テサロニケ人への手紙1:2ー10、第一ヨハネによる手紙4:15.